2009年8月2日日曜日

立原正秋「日本の庭」


給料振込み後、フラーっと、ブックオフによる癖がある。

近所は、たいした本屋もなく、ブックオフは、安いし、不況のときは、結構、掘り出し物があったりする。
フロイトの「夢判断」は、読みたくて、インターネットで買ったけど、新品が売っていた。

で、ボーっと見ていると、立原正秋・日本の庭 (新潮文庫)が目にとまった。
北原白秋・立原道造となんとなく、名前がダブって・・・「へー、そういう人が、庭の本書いてるんだ!」て、ボーっとした頭で、早合点。
それと、表紙の庭が、「慈光院」の庭に似ていて(実は、詩仙堂)、気になって買ってしまった。
最近は、面倒な本を読むのに、少し疲れていて、気軽に読めるかなとおもってね・・。
立原正秋先生は、すごい、作家だったんだ。知らなくて、すみませんって感じ。

紹介の庭も、半分ぐらい?、いや1/3かな?、それぐらいは見たことがあって、なんとなく納得できた。
枯山水は、よく「禅の思想」と結び付けて、説明されて利しているのを、見かけるが、先生は、それをほぼ全否定。実用性と、庭師の美意識によって、説明していたように思う。
デザインと思想なんて、あんまり結びつかない??
確かにそうも思うことがあるけど、逆に、作る側から美意識を追求すると、思想的背景にいちゃるかんじもする。どうなんだろうね・・

そう、庭の本を読んだのも、最近は、家をつくるオーナーも、庭の美意識のかけらもないような人が、ほとんどって感じがする。
家自体が、外と繋がる、庭や外部と一体的なイメージがなくなってしまった。
閉ざされた、家・・。その中で収まっている感じがするな。
庭といわず、街や、都市との接触もない。ひたすら、囲まれた家の、コスト、断熱性能、部屋うちの施設で完結している。これで本当に、エコロジカルとか、100年住宅とか、都市の創造とか、言えるのだろうか。

家が、街と、自然と一体のシステムとして、できれば、経済のシステムとして、考えられるのが、社会的理想ではないかって、感じるのです。

ということで、庭の話は、僕にとっての、清涼剤って感じでした。

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